海を見ながら思ったこと

日記とか頭の中とかそういうのは全部タンブラーに書き溜めてるけど、長くなりそうだし纏まんないからこっちに入れる。


金曜の朝、午後休取得を決めて飛行機を取って(当日券ばか高い、でも買える、その為の貯金だから)バッグの中にコンタクトだけ入れて出勤。飛んで乗って着いて話して食べて寝て土曜。海を見に行く。いい天気なのに殆ど人がいなくてラッキー、妹に借りた白いパンツを汚さないようにテトラポットに登って、ニットのカーディガンを敷き込んで座る。水平線とキラキラ光る水面と向こうの方に見えるフェリー、高かったり低かったりする飛行機をずーっと見てた。見てられた。海が好きだから。海にちなんだ名前だったら良かったのに。いや自分の名前も大好きだけど。


で、空がひろいなー高いなー海きれいだなー潮の匂い大好きーとか思いながらぼーっと考えてたこと。

わたしは元々戦ったり勝ち負けを決めたりするのが嫌いだった。7年かそこら、スポーツ少女をやってた時もそう。組手なんて嫌い。殴って蹴って何が面白いのかうれしいのか分かんない。だから型の選手になろうと思った。でも闘争心が無かった。とにかく綺麗な演舞を、とにかく一本でも良い型を打ちたい、その気持ちでしかなかったから負けても悔しくなかったし勝っても嬉しくなかった。トロフィーも賞状も飾ったりした覚えはない。持って帰って机の下とかに溜めてた気がする。年末にまとめて捨ててた。

それなのに最近、この化粧品使ってると勝てる!だったり今日はこれしてるから強い!だったり、なんかそういう価値観をよく見るし「あーめっちゃわかる!」と思うようになっていて、私は何と戦ってるんやろと考えた。汽笛を聞きながらね。服とか化粧とか、自分が楽し〜と思うためにするもんだと思ってたんだけどな。見えない敵と戦って、戦ってる気になって、勝った気になって負けた気になって、一喜一憂して、ばかみたい。周りの人がそれを考える点に関しては特に興味がない。自分がそう思ってんのが、ってのがポイントだ。あんなに勝ち負け興味ない子だったのに。

で、そう思ったらなんか軽くなって、戦うのやーめたってなって、だってそんな敵はいないし、見えないもんと戦うとか無理だし。好きなもんを着て、好きなもんを塗ったくって、やりたいようにのびのびやってこってなったん。それがめっちゃ難しいのは知ってる。今こう思ってても、たぶん満員電車に乗ったらポーンと飛ぶ。でも忘れたくないし、大切な気付きと思うからこうして書いておく。


そんで、あーめっちゃ長くなるや。記録だからいい。もう一個考えたのが(ていうか頭ん中回ってたのが)こないだ言われた「あのね、こうしたら周りが喜ぶとかこうしたらバランス良くなるとかじゃなくて、あなたがどうしたいかをまず考えて、それを主張出来るようになるといいね、早くね」というやつ。


ごはんに誘われて、あなたは誰を誘いたい?って質問に返答した時の返しだったと思う。「○○さんも同じ部署だし、他部署の同期よりも同じ部署の○○さんのが良いと思います」って答えたんだよ確か。

したらね、バランス考えるなら俺が声をかけるし、あなたがどうしたいかを聞いてるんだよと言われて、あーそうだ、これに続く形でさっきのを言われたんだ。


多分、思考するときの主体の問題。

別に自分の主張が無いわけじゃないけど、周りとのバランスを崩してまで言いたいわけじゃない。ていうか「あなたはこうしてほしいんでしょう、だからそうしよう」を言ってくタイプ。おそらく。きっと。だから、ヘタに大人数いると誰の望みに沿えばいいのか分かんなくなって疲れる。でもそれは思考回路としてはお門違いで、私には「私がどうしたいか」を考える視点が抜け落ちている。いや、あるにはあるけど、優先順位がめちゃくちゃ低い。

「他人のために考えて動けます」的な考え方をする人間は、得てして何かあった時に他人のせいにする。自分含めて。よくないな〜。「私はこうしたい」って思って動いたの、記憶する限りは就職で東京に来たことくらい。それすらも「(私が)こうしたい」じゃなくて「(親に反発するすべがこれしかないから)こうしたい」だったもの。


主語がIじゃない。


だから、夏の時も失敗した。この人はこう思ってるし私にこうしてほしいだろう、この取引先はうちにこういう対応をしてほしいだろう、この人はこの人はこの人は、で、結果なーんも考えられなくなって「あれ?私今何やってんの?」状態でショートのち自爆。夏の失敗の理由が春になってやっと分かった。勿論それだけではないけど、この考え方のクセもウェイトを占めてたと思う。


勝ち負けの話も、主体の話も、波の音聞いて高い空見てたらふーっとおちて、なんかもう全部いいや、私は私で私だから好きなようにやってくし周りの意見なんかどうでもいい、周りの意見は周りの意見、私の主語はHeでもSheでもなくてIだもーんと思った。


仮想敵と戦うのをやめる。

戦うのも比べるのも嫌い。

必要以上に他人の気持ちを考えない。

そんなもん考えても分からん。


私が着たいから着る、塗りたいから塗る、履きたいから履く、そうしたいからそうするの。

私が楽しくて、私がノれて、私がラクで、のびのびあれることがすべて。


9月4日。


通勤できていた時、どんどん朝が起きられなくなって泣きながら化粧をする始末だったのによく起床後20分で出られていたなと思い出す。 


ビルの階段を上りながら吐き気がひどかったなとか、とんでもない格好で行ってやりたくてデニムにスキニー履いてリュック背負って出勤したなとか(どこの大学生だよという感じ)、ふとした時に「しにたい」が出てきて怖くなったりしていた。

ああいう時は不思議なもので うっかり死にそうになる。「あ、もうええや」と言う瞬間がふっとくる。魔がさす、という言葉があるけれど、あれ、多分そう。


電話口でそれらを話す。思ったよりやばかったと相手が言う。高校の時から自分のキャパが分かっていない。サイヤ人を求めている。なれる時もある。今回はなれなかった。どころかぶっ壊れて使い物にならない。疲れている、を会う人会う人に言われて ようやっとそうだったのかと考えるようになった。


秋が来る。







心が風邪を引いて、しかも拗らせてしまったらしい。

困ったなと思う。
ご飯から味がしなくなったのはいつからか。
会社に行く地下鉄の中で吐き気と汗が止まらなくなったのは。
平日は全く眠れないのに、土日はほぼベッドの上で時間を溶かす。
それでも、どうにかデスクに着けばなんなり出来る。
人とも話せるし電話だって取れるし書類だって作れるし。冗談にも笑えるし。気付いたら御守り代わりの薬が手放せなくなって、アロマやらヨガやらでリラックスさせようとしても上手くいかなくて、あー今これ飛行機の中で打ってるんだけど横の女がいちいちこちらを向いてくる。気がする。こっち向くな。あと靴を履け。

1人じゃ太刀打ち出来なくなって専門家のところへ駆け込む、薬をくれと言ったら診断書を渡された。あなたみたいな人が突然死んじゃうんですって、いやもう少しオブラートに包めよ。驚いた。
診断書を私のところで留め置くことはもちろん出来た、でもしなかったのは、うん、そういう事なんだろうと思う。

自主退社の文字が頭に浮かんで、そっか4ヶ月か〜と思ってたけど 有難いことに少しの間お休みを貰う運びとなった。
同期が頑張っている時に、私は休む。
情けなさでつらくなる。
診断書を提出したのは私なのに。

あなたは真面目過ぎるから疲れてしまったのよ、仕事なんて手抜きでいいの、慣れだから大丈夫、でも私はその慣れの時期に後退するんですよ。ごちゃごちゃ言っても仕方がないし、私がすべきことは言い訳でも反省でも後悔でもないことは理解しています。

「金曜に退職して、月曜に入社するイメージを持つの。そしたら土日フリーでしょ?そんな感じで良いんだよ」

はやく回復して、一生このまま元気になることなく哀しいまま過ごして行くんじゃないかという不安をサッパリさせて、引越しをして。 
街の色が変わるまでに、私はあの場所に戻りたい。
多分今晩は泣く。明日も泣く。明後日は知らない。泣けるだけマシなんだろう。たぶん。

「空港まで」「飛行機にのられますか」「はい」「何時でしょう」「あー、16:45までに着ければ大丈夫」「余裕ですね」「よろしくお願いします」


着いたら16:05 お気をつけてとドライバーさん ふくれたお腹とくるしいベルト 流行りのメイクをしたけれど 家族は好きでも地元は嫌い 他人が怖い周りが怖い 周辺機器に問題はなくて私本体にバグがある 見て見ぬふり もう社会人なんだから 自立と独立 眠りたい 料理もお風呂も掃除も洗濯もぜんぶ億劫 眠るのだけはだいじょうぶ 

To jobs that pay the rent.

生活の為の仕事で良い。


世の中には好きなことを仕事にしている人間が一定数存在するけれど、私はその層には上がれないと早々に判断した5月が終わった。


先日の部長面談で「上京してまでウチに就職した理由を聞いてオッ良いなと思ったよ。それを話さなかったところも良い。頑張って。」と言われたけれど如何なものか。幼稚園の頃から自分が行くべきところに文句を言ってダダをこねる子どもだった。今だってそう。やってくる1週間を思って鬱々としている。働くことが苦であるというよりも、自分の目的意識が曖昧なこと/環境に慣れていないことが私を暗くさせているのだろうな。


環境に慣れるのに3年はかかる。これは経験値だからまちがいない。問題は目的意識である。結果を残すとか、昇進したいとか、大きな額を動かしたいとか、好きな自分になりたいとか、そういうのは置いといて。いちばん現実的で定めやすい目標。生活するため。働かないと食事もガスも家賃も水道も、娯楽だってままならない。


生活のための仕事で良い。

家賃のための仕事という意識で、今はじゅうぶん。

だって、私は頑張っている。

自分で自分を褒めてやらないと崩れてしまう。もう22なんだから、自分のご機嫌くらいとってあげる。作業用BGMはアニメが良いし、ゲームは好きなだけして良いし、好きな服を着て働く自分に酔っていい。帰省のための飛行機だって、当日最安値でもしっかり払うことが出来る。

だから働く。

私は私を肯定し続けて、良くするために生きるのだ。




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火曜が終わる。

週明けの月曜、折り返しの水曜、あと一踏ん張りの木曜、ナチュラルハイの金曜。


特にこれといった特徴もない、わたしが1番苦手な火曜。

七曜の中でぜったい浮いてるでしょお前。


特に忙しいわけでもない月末は、打って暇して取って暇して上げて聞いて計算して暇して打って打って打っての繰り返しだった。

デスクで、やる事がなく(できる事がまだ少ないので)座っていると段々とかなしい気持ちになってくる。エクセルで自分なりにマニュアルをまとめたりする。郵便を見にいったりもする。その内に、頭の中でゾゾタウンのカートに入れてるワンピースだったり欲しい化粧品だったり次の帰省について考え始める。飛行機取るなら早めがいいよなあ、有給申請して、うーん、あのワンピースどうしようかなあ、ていうかゾゾタウン使ったことないんだよな、でも絶対可愛いよなあ、あのCCクリームいい加減買おうかなあ。

オフィスの中でそんなことを考えてるもんだから次第に家に帰りたくなる。


『でもやっぱり、帰ってゲームがしたいし何もせず横にもなりたい。』


ほんのり危険な思考回路は、じんわり私を暗くする。17:30になると同時にそろそろと退社、ふらりとスーパーに寄ってみた。


自炊はしないぞと決めたものの牛肉が安くなっていて思わずカゴへ、帰ってからピーマンと玉ねぎでジュワーとする。

美味しかったなあ。

お肉は元気が出ていいね。

明日は1週間の折り返し地点。

5月も終わる。